俳句の作り方 罌粟の花の俳句
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき 橋本多佳子はしもとたかこ
けしひらく かみのさきまで さびしきとき
罌粟が夏の季語。
「ケシ科の花の総称。
4月から6月、茎の頂に一重または八重の花を開く。
色は真紅、紫、白、絞りなど多様。
地中海沿岸、西南アジア原産。
種によっては阿片が採れるため栽培が禁止されているものもある。」
(俳句歳時記 夏 角川書店編)
作者、橋本多佳子は髪を洗った後に罌粟の花を見たのでしょう。
女は寂しいとき、淋しさを紛らわせるため髪を洗うのです。
でも作者は髪を洗っても寂しさを紛らわせなかった。
それどころか、髪の先まで寂しさがひしひしと迫ってきているのです。
そんな時、ふと罌粟の花を見ます。
まるで自分の寂しさに合わせるかのように開いているではありませんか。
罌粟の花は散りやすい。
そんな罌粟の花が開いている。
寂しさが極まったときに開いている。
偶然とは思えない作者。
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
橋本多佳子について・・・。
1899年明治32年生まれ。
1963年昭和38年没。
結婚後、夫が建てた「櫓山荘」(ろざんそう)(現北九州市小倉北区)に住む。
そこで高浜虚子と出会い句作を始める。
「女性の悲しみや寂寥を詠み、古雅な中に知的な色彩を与えた。」
「女性の哀しみ、不安、自我などを女性特有の微妙な心理によって表現した。」
(Wikipediaより)
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
この句は私も知っていました。 初めてこの句に出会った時に、何故かドキッとした事を思い出します。
罌粟が麻薬のアヘンを原料だからそう思ったのか、それとも句にドキッとしたのか判然としませんが、とかく微かな衝撃がありました。
私の育った村には野生の罌粟がさいていました。
この句に出会うと育った村を思い起こします。
有難う御座います。